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初夏の美味、鮎を楽しむ

古くから初夏の味として珍重されてきた鮎。ユニークな生物としての側面、そして日本人の味覚として愛されてきた文化的な面など、さまざまな角度から「鮎」をご紹介します。おなじみの魚の魅力を改めて見直してみましょう。

 

●鮎は淡水と海水に棲む

 

鮎は川で生まれ、幼少期は海で育ち、再び川に戻って産卵します。成長後は川にも海にも棲むことのできる、特殊な能力を持っています。

一般的に、魚は淡水魚と海水魚に分かれ、それぞれの場所でしか生息することができません。浸透圧の高い海水に棲む魚を、浸透圧の低い淡水に入れると、体内の水が外へ吸い取られて、干上がってしまいます。また淡水魚を海水に入れると、体内に水がどんどん入って、水ぶくれになってしまうのです。

しかし鮎をはじめ、サケ、マス、ウナギのような魚は浸透圧調整の方法を切り替える能力を持っていて、淡水と海水を自由に行き来できるのです。鮎は数十秒から長くて数分以内には浸透圧調整を海水向け、淡水向けに切り替えることができると言われています。

ただし、琵琶湖には一生を通じて淡水でのみ暮らす特殊な鮎が生息し、体長も10センチ足らずで、コアユと呼ばれています。

 

●鮎は戦況を占う魚だった

 

「鮎」という名前の由来には、さまざまな説があります。「愛らしい魚(ゆ)」で「あゆ」になったという説、神前に供える食物「饗(あえ)」に由来する説、また貝原益軒が書いた江戸中期の語源辞書『日本釈明』には「落ちる」という言葉の古語「あゆる」から転訛したと書かれています。秋の産卵期に川をくだるところから名付けられたのかもしれません。

かつて、鮎は戦況を占う魚として知られ、『日本書紀』に次のような故事が記されています。仲哀9年(西暦200年)4月、神功皇后が肥前の国(現在の佐賀県松浦)で戦を占うために釣りをされた。このときに獲れたのがアユで、以来、「鮎」という漢字で書くようになったと言われています。

 

●日本ならではの伝統漁法で釣り上げる

 

鮎は川底の石につく珪藻などを食べて成長します。櫛形の歯でこそげ落とすように藻を取るのですが、石の表面をよく見ると、笹の葉の形をした「喰み跡」が残っていることがあります。

鮎は縄張り意識がとても強く、他の鮎が近づいてくると背びれを立てて威嚇し、口を大きくあけて追いかけてきます。この習性を利用した漁の方法として「友釣り」があります。おとりの鮎のうしろに流し針をつけて泳がせ、追いかけてきた野鮎をひっかける仕組みです。外国にはない独特の釣り方で、まさに鮎の習性を知り尽くした日本人ならではの工夫です。

この他、『古事記』にも記載のある伝統漁法として「鵜飼い」も有名です。鵜飼い漁で獲る鮎は体に傷がなく、鵜の食道で一瞬にして気絶させるため、鮮度が非常によいとされ、献上品として珍重されてきました。現在でも岐阜市長良川などで鵜飼いが行われています。

 

鮎は藻を食べて育つので香りがよく「香魚」とも呼ばれます。塩焼きがもっともおいしい食べ方ですが、姿ずし、押し鮎、酒蒸しなど調理方法もさまざまです。この夏も、季節の美味をぜひ味わいたいものです。

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「和牛」を知って、おいしく食べよう

蒸し暑く、体力を消耗する季節だからこそ、良質なたんぱく質いっぱいの食材「和牛」に注目してみませんか。日本が誇る美食の最高級素材とも言える存在です。今月は和牛の基礎知識をご紹介します。

 

●「黒毛和種」の父親はたったひとり!?

 

和牛というと、国産の牛のことだと勘違いしがちですが、もっと厳しい定義があります。和牛は国に認定された日本固有品種のこと。いわゆる国産牛とはまったく違う存在です。

和牛の代表的な品種は「黒毛和種」です。ホルスタインなどの外来種に中国地方で古くから飼育されていた固有種の和牛をかけあわせると、霜降りが入り、品質のよい肉質になります。1937年に「黒毛和種」という名称が認定され、飼育数も増えていきました。現在、国産牛といわれる肉のほとんどがホルスタインの母に「黒毛和種」の父を持つ牛で、和牛全体の9割を占めるほどの存在です。

「黒毛和種」の父親として有名なのが、兵庫県美方郡で飼育されてきた「但馬牛」で、中でも「田尻」号という有名な牛が存在しました。1939年に生まれ、1958年に死ぬまで、「黒毛和種」の優秀な種牡牛として活躍し、現在、「黒毛和種」の母牛の約9割は「田尻」号の遺伝子を受け継いでいます。

 

●3種類の和牛に注目

 

和牛の代表選手は「黒毛和種」ですか、国内には他に3種類の和牛が存在します。

東北北部原産の南部牛に米国ショートホーン種などを交配し、改良を進めたのが「日本短角種」です。飼育地域は岩手、青森、秋田、北海道で、北日本の風土に適した性質を持っています。夏の間はゆったりと放牧生活を送り、冬はサイレージや干し草を与えて育てます。飼育農家にとって、手がかからない良い牛でもあります。

熊本県、高知県には「褐毛(あかげ)和種」という和牛がいます。和牛のルーツである朝鮮牛の遺伝子を濃く持つ品種で、明治時代以降に大型のヨーロッパ牛「シンメンタール牛」などとかけ合わせ、「褐毛和種」という銘柄を作りました。「黒毛和種」と同様、霜降りの入った、きめ細かな肉質が特徴です。

4種類目の和牛は「無角和種」という稀少な品種です。山口県阿武郡一帯で飼育されていた在来の黒牛にイギリスの牛「アバディーンアンガス種」を交配し、改良しました。体は丸みを帯びて、四肢は短く、典型的な肉用牛の体型をしています。成長の速度が早いという利点がありますが、霜降りは入らず、シンプルな赤身肉が特徴です。

 

●松阪牛は特別な「黒毛和種」

 

世界に誇る日本の和牛ブランドといえば「松阪牛」です。

この牛も、もともとは「黒毛和牛」ですが、飼育方法に厳しい基準があります。三重県松阪市を中心とした一定の地域の中だけで育てられる牛で、生後12カ月までに松阪牛生産区域に連れてこられ、一頭一頭、厳重に管理されて育ちます。中でも同地域で900日以上飼育された牛は「特産松阪牛」と呼ばれ、きめ細かな霜降りと柔らかな肉質で広く知られています。

 

以上、和牛の基礎知識を解説しました。この夏、少し奮発して、おいしい和牛を食べるのはいかがでしょうか。

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静岡茶の魅力を再発見しよう

5月上旬は一番茶の採れるシーズンです。日本各地にはそれぞれおいしいお茶がありますが、中でも代表的な静岡茶の魅力についてご紹介します。

 

●国内生産量の半分は静岡茶

日本には各地にお茶の産地があります。京都の宇治茶などは有名ですが、生産量はそれほど多くはありません。国内ナンバーワンの産地といえば、なんといっても静岡県。ちなみに第2位は知覧茶などが有名な鹿児島県です。

静岡県は地理的にも環境的にもお茶の生産に適していて、古くからの名産地として知られています。1853(嘉永6)年にアメリカからペリー提督ひきいる黒船が来航。これをきっかけに1859(安政6)年、横浜港が開港し、生糸と茶の輸出が非常に盛んになりました。このため横浜に比較的近い静岡各地に茶園が開かれ、生産性をあげる方法や品種改良が進んだのです。

現在でも日本の茶の生産量の約50%は静岡茶で、流通面では7割を占めています。まさに日本を代表するお茶といってもよいでしょう。

 

●お茶には多くの品種がある

米にはササニシキやコシヒカリなど、多くの銘柄があります。お茶にも同様、さまざまな品種があるのをご存じでしょうか。

もっとも有名なお茶の品種というと「やぶきた」茶です。この茶は静岡県出身の篤農家・杉山彦三郎がさまざまな選抜育種試験の結果、1908年に発見した種類で、深い香気を持ち、一番茶の収穫が早いという特徴があります。「やぶきた」という名も杉山が名付けたもので、所有する竹藪を切り開いて作った試験園の北側の位置に原茶樹があったから。この発見から約半世紀後の1953年、農林省の奨励品種に指定されたのをきっかけに全国的に栽培されるようになり、現在は全国の約8割の茶園で採用されています。

日本茶の銘柄としては「やぶきた」のほか、明るい緑色のお茶がでる「つゆひかり」、渋みが少なく旨みの強い「さえみどり」「山の息吹」など、色や香り、味に特徴のある品種が作られています。

 

●機械でもおいしいお茶の加工

明治時代までは、すべて手揉みの手作りで作られていた緑茶ですが、現在では先進的・衛生的な製茶機械が取って代わっています。

機械とはいえ、その製造工程はなかなか複雑です。茶畑から収穫された茶葉を給葉機から蒸機に送り、強い蒸気にさらして酸化酵素の働きを止めます。そして茶の表面にたまる水分を除きながら、冷却機でいったん冷まします。次に粗揉機(そじゅうき)と呼ばれる機械に入れ、強い力で揉みながら熱風を当ててかわかします。さらに揉捻機(じゅうねんき)で水分が均一になるよう揉んでいきます。中揉機(ちゅうじゅうき)に移し、さらに茶を揉みながら熱風で乾かします。この後、精揉機(せいじゅうき)で茶葉の形を整えながら乾燥させ、乾燥機でさらに水分を飛ばし、荒茶合組機(あらちゃごうぐみき)で全体を均一に混ぜてできあがりです。

この段階の茶は「荒茶」と呼ばれ、このあと、さらに茶葉の大きさなどで分類し、火入れや選別を行って「仕上げ茶」を製造します。手作りに比べれば、ぐっと生産効率が高いのですが、やはり製茶には手間暇がかかっているのです。

 

以上、静岡茶の魅力についてご紹介しました。新茶の季節はぜひ、急須でいれた美味しいお茶で気分をリフレッシュしたいですね。