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世界でもっとも古くから続く日本皇室の秘密

初代神武天皇から数えて125代。約2000年もの長い間、血族による後継を続けてきた天皇家は、世界の皇統の中でもっとも古くから現存する皇室として知られています。「万世一系」と称される皇室の秘密について紹介します。

 

●父親からその子へと伝わる皇統

 

世界の皇室、王室などと比べて、日本の皇室が特徴的なのは、125代の天皇がすべて男系によって継承されていることです。

男系による継承というのは、厳密な規定があります。父から息子、息子からその息子というように、父方をたどっていくと、必ず天皇にたどりつく血筋を持った人物のみ、即位できるのです。これを一般的には「万世一系」と呼んでいます。

125代にあたる今生天皇の前には、124代の代替わりがありましたが、そのうちの109回は天皇の息子が即位しています。この他、天皇の孫が即位した例が9回、天皇の孫の子どもが即位した例が3回あり、合計121回。全体の98%の天皇が、4親等以内の男系によって受け継がれているのです。

 

●女帝たちもすべて男系の出身

 

121回の代替わりの中には、8人10代(1人で2度即位した女帝が2人いるので10代と数えます)の女帝も含まれていますが、彼女たちの場合も父方をたどると天皇に行き着くという「男系」の原則は守られています。また女帝が誕生する背景には、当時の政情の不安定がありました。初代の女帝、推古天皇は有力な後継者が乱立し、争いを起こす中、政権を安定させるために即位。第41代の持統天皇は幼い皇太子が成長するまでの間、政権のトラブルを防ぐために即位。孫にあたる天武天皇に生前譲位しています。

当初、女帝は皇后あるいは皇太子妃で、夫が亡くなったのちに即位をしていました。しかし715年に未婚のまま即位し、生涯独身を貫いた元正天皇にならい、それ以降の女帝はすべて未婚の内親王で、生涯独身、出産もしないというのが不文律になっています。女帝が産んだ子どもは男系ではないので、混乱を生じるのを事前に防いだとも考えられます。

 

●後継ぎ不足のトラブルは過去にもあった

 

現在も天皇家の後継ぎ不足の問題が指摘されていますが、2000年の歴史には、皇統断絶の危機が3回もありました。天皇が皇子を持たないまま崩御し、近親にも男系男子がまったく見当たらないという事態が発生したのです。

最初の危機は6世紀初頭。第25代武烈天皇が崩御した時、近親に男系男子がまったく見当たりませんでした。男系継承の約束事として、当代に後継ぎがいなければ、1代遡って男子を探し、まだ不在ならば2代遡るという方法をとります。武烈天皇のときは、5代も血筋を遡り、その結果、祖父の祖父同士が兄弟だったという遠縁の男子が第26代継体天皇として即位しました。

室町時代の南北朝でも同様のトラブルが起き、ここでは4代遡って、世襲宮家のひとつ、伏見宮家から後継を出しました。江戸時代には22歳だった後桃園天皇が0歳児の内親王を残して急死。天皇空位という緊急事態に、その死は10日間ほど伏せられ、必死に後継ぎを探しました、結果、世襲宮家の閑院宮から、当時8歳だった師仁親王が養子として迎えられ、光格天皇として即位しました。当初、聖護院で出家する予定だった幼い師仁親王にとっては青天の霹靂で、人生は思わぬ方向に転がりました。まさに綱渡りの「万世一系」だったのです。

 

以上、天皇家の男系継承の歴史をたどりました。今後、皇室の後継はどのような形になるのかはわかりません。しかし男系継承という歴史的存在の価値をどうとらえるかで、その姿もおのずと変化してくるのではないでしょうか。