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日本のエンタメの至宝、宝塚歌劇団

毎年4月になると宝塚音楽学校で入学式が行われ、グレーのスカートにジャケットの制服に身を固めた愛らしい新入生たちの記念写真が新聞などを飾ります。近年は台湾公演なども成功させ、日本独自の舞台芸術の輸出にも目を向けているとか。今月は宝塚歌劇団の華やかな歴史についてご紹介しましょう。

 

●スタートは温泉場の余興だった

 

現在では本拠地宝塚に見事な大劇場を構える宝塚歌劇団ですが、そもそものスタートは宝塚にあった娯楽施設「宝塚新温泉」でした。阪急東宝グループの創設者である実業家、小林一三が1913年に「宝塚唱歌隊」を結成。翌年、「宝塚少女歌劇養成会」と改称し、4月1日に「宝塚新温泉」のプールを改造した劇場で初公演を行いました。演目は桃太郎を題材にした歌劇「ドンブラコ」、ダンス「胡蝶」などで、温泉入場者は観覧無料でした。その後、観客が徐々に増え始め、正月、春夏秋と公演回数を重ねます。

1918年には東京に進出。帝国劇場で初舞台を行いました。1919年には宝塚音楽歌劇学校が設立され、「宝塚少女歌劇養成会」を解散。あらたに「宝塚少女歌劇団」が作られ、本格的に団員の育成が行われるようになります。

設立者の小林一三の「新しい国民劇を創造し、安い料金で見てもらおう」という理想のもと、1924年には宝塚大劇場が完成。1927年には日本初のレビュー「モン・パリ」が上演されて大評判を呼び、以来、宝塚の黄金時代を迎えます。1930年代にはヨーロッパ、アメリカへの海外公演も行っています。

終戦で大劇場はアメリカ軍に接収されましたが、1946年に「カルメン/春のをどり」で再開。乙羽信子、越路吹雪、淡島千景、有馬稲子などのスターが誕生し、ミュージカル、レビューが華やかに演じられました。

1970年代には「ベルサイユのばら」が大ヒット。社会現象にもなりました。現在も幅広い演目を舞台にのせ、宝塚歌劇ならではの舞台芸術を創り続けています。

 

●タカラジェンヌになる方法

 

宝塚歌劇の団員になるには、宝塚音楽学校に入学することが条件です。予科1年、本科1年の2年制学校で声楽、ダンス、日本舞踊、演劇などを学び、定員は毎年約40人。入試の倍率は20倍を超えることもあり、狭き門です。中学卒業の時点で入学試験を受けることができ、高校を卒業していない生徒は在学中に高卒資格取得サポート制度があります。

卒業後はほとんどの生徒が宝塚歌劇に入団。「花」「月」「雪」「星」「宙」の5つの組のいずれかに所属し、各組ごとに宝塚大劇場、東京宝塚劇場を中心に舞台活動を行っています。

宝塚の特長は「トップスター」システムをとっていること。男役と娘役のそれぞれにトップが存在しますが、やはり注目されるのは男役の「トップスター」です。舞台終幕のレビューでは男役の「トップスター」が背中に大きな羽を背負って登場し、舞台挨拶をするのが定番です。

「トップスター」は退団後も芸能界で活躍している人が少なくありません。大地真央、天海祐希、黒木瞳、真矢みきなどは、テレビ・舞台・映画などでしばしば顔を見せる元タカラジェンヌたちです。

 

●清く、正しく、美しく

 

初公演から100年以上が経った今日、宝塚歌劇は年間約1300回もの公演を行い、観客動員数は約250万人と、大変な人気を誇っています。劇場には「ヅカファン」の女性たちがトップスターの入り待ち、出待ちをする姿などが見られ、コアな愛好者によって支えられている姿が伺えますが、今後はさらに多くのファンを獲得すべく、舞台のレベルアップをはかっているそうです。

2014年には宝塚大劇場内に創設100周年記念施設「宝塚歌劇の殿堂」がオープン。創設者小林一三の理想とした「清く、正しく、美しく」の世界観がさらに広がっていきそうです。

 

以上、宝塚歌劇の歴史をご紹介しました。女性のみで演じられる独特の舞台をまだ体験したことのない人は、これを機会に一度、見てみると面白いかもしれません。